金沢克彦の不定期コラム
金沢克彦(かなざわ・かつひこ)Profile1961年12月13日生まれ。青山学院大学経営学部卒業。86年5月、新大阪新聞社『週刊ファイト』記者となる。 89年11月、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ移籍。99年1月〜04年10月まで編集長を務める。 05年11月に退社しフリーライターとなる。 テレビ朝日『ワールドプロレスリング』の解説を務めるなど口も達者。通称GK(=ゴング金沢)。 著書に、鈴木みのるとの共著『風になれ』(東邦出版)の他、『力説』(エンターブレイン)、『子殺し』(宝島社)。
こちらのコラムは不定期で更新いたします。
第2回 チャンピオン・ベルト
2010.05.04先だっての5月2日、愛知県体育館で浜亮太を破った鈴木みのるが2年8カ月ぶりに三冠ヘビー級王者に返り咲いた。右膝手術による武藤敬司の長期戦線離脱、小島聡の電撃退団発表と現在の全日本プロレスは激動・激震に見舞われている。そんな状況下、みのるが頂点に立ったわけだが、私に言わせれば必然の戴冠劇。
一般的に“激動・激震”と“必然”ではイコールに程遠い言葉となるのだが、三冠ヘビー級王者=鈴木みのるに関しては必然という単語がもっとも相応しいと思う。
かつて外敵、外様、フリー戦士と呼称されていたみのる。だが、全日本マットをここ数年見守ってきたファンにとって、今のみのるの存在はすべての枠を超えた絶対エースと映るだろう。紛れもなく彼が全日本マット全体をリードしている立場にあるし、今回3本のベルトを手にした直後に太陽ケア、曙、船木誠勝との共闘を宣言したのもサプライズとは思わない。その後、諏訪魔率いる新世代軍に「昨日今日プロレス始めた奴がプロレスを語るな!」と宣戦布告したのも必然の流れだ。
つまり、今のみのるにとってそこに3本のベルトがあるのは特別なことでもなんでもない。絶対的エースとしての必然なのだから、力む要素すら何もない。
では、この瞬間、みのるは何を思っていたのか?勝手に推理するなら、この瞬間やっと船木を超えたことを実感できたのではないだろうか?いやいや、こんな話を本人に振るともう大変だ。「フン、勝手に言ってろって。恥をかくのは書いた人間だから俺は関係ねえよ!」と鼻で笑うに決まっている。だから、これは私の勝手な理屈付けである。とにかくこの日、鈴木みのるは永遠の目の上のタンコブであった船木誠勝を超えてみせたのだ。
まず、ここ2カ月の激動期を少し振り返ってみたい。
3・21両国大会の金網マッチ、4・11JCBホールの『チャンピオン・カーニバル』優勝決定戦と、みのると船木はまさかの2連戦を決行した。みのるは22年のプロレスラ―人生で培った引き出しを次々と開けて船木に対していった。その結果(1勝1敗)は別として、この闘いを体感したことで悩める船木は完全に蘇生している。みのるとの2連戦を経て、明るさと輝きを放ち始めたのだ。今までブラックホールの如く相手の光を消す闘いしか知らなかった男に、みのるが初めてプロレス本来の楽しさと厳しさを教え込んだと言っていいのかもしれない。
4・29後楽園ホール。みのると船木が初タッグを結成する当日、試合前の船木はにこやかにこう言っていた。
「毎日キツイし無我夢中だけど楽しいですよ。実は俺、今まで自分の試合をビデオとかで一度も見直したことがないんです。それは観てしまうと多分、ここがダメだからこうしなきゃとかそんな点ばかり見つけてしまうと思うから。今はこれでいいから、行ける所まで突っ走りますよ。プロレスと格闘技をやってきた財産と、その時の感性で走ります。もしどこかで怪我とかしてストップしてしまったら……そこからまた考えればいいんですから」
真っ黒に日焼けした船木の顔から松崎しげるばりの白い歯がこぼれる。その笑顔には一点の曇りも感じられなかった。完全に吹っ切れたのだろう。
考えてみると、みのるとチャンピオン・ベルトの関係は元々、みのると船木の関係そのものであった。
鈴木みのるが初めて巻いたベルトは第2代キング・オブ・パンクラシストのベルト。95年の5・13東京ベイNKホール大会で無敵のウェイン・シャムロックを下し王者となった。この時、みのるの胸中に去来した思いは「初めて船木さんを追い越した」である。だが、それが転落の始まりでもあった。当時、バッキバキのハイブリッドボディを誇り、人気俳優の的場浩司似とも言われていたみのるを世間は放っておかなかった。例えば女性ファション誌『an・an』の抱かれたい男ランキングでは堂々とベスト5に入っており、なんとキムタクよりも上位。周りはすべて芸能人だから、本当にとんでもない快挙である。
これでテングになったかどうかは分からないが、リング上では4か月後の初防衛戦(vsバス・ルッテン)に敗れ、その後、頸椎ヘルニアを発症してさらなる地獄を味わう。しかし、転落の発端は「船木を超えた」という達成感に満たされたことで、目標を失ってしまったことにあることは明らかだった。
「実際は追い越してなかったし、超えるものじゃなかったんですよ。でも俺の中の目標は、新弟子時代いつもランニングしている時に見ていた(船木の)背中だったから」
おそらく、この経験からみのるはチャンピオン・ベルトの怖さや、チャンピオンであることの意味合いを痛感したのだろう。
だからこそ、初めて三冠ヘビー級王座に挑む(06年9・3札幌大会/vs太陽ケア)前に、みのるはこう言っていた。
「初めてベルトを獲った時に勉強したんだろうね。ベルト、タイトルを目標に生きてきて、それを持った時に目標がなくなって……『大事なのは獲ることじゃないんだ』って。それは目標にするものじゃなく、後からついてくるもの。レスラーとして絶対に大前提にしなきゃいけないことは、まず『相手に勝つこと』で、その上の世界として『客を満足させるだけの技量があるかどうか』っていうのがあって、ベルト云々はそのさらに先にポツンとあるもの。やっぱり俺にとって大事なのは『今この瞬間が一番大事』なんであって」
パンクラス時代、勝負論だけで生きてきた男が、新日本、ノア、全日本の三大メジャーのリングを渡り歩き、辿りついた答えがそこにあった。
そして、三冠王座を1発で奪取したみのるは、伝統と格式に包まれた3本のベルトをブンブンと振り回し、踏みつけにして、花道の特設ステージに無造作に並べた。そこへ津波のように押し寄せるファンに向かってみのるはこう訴え掛けた。
「なあ、ベルトがすげぇーんじゃないだろ?強い奴がすげぇーんだろ!?」
さらにバックステージでは、マスコミ陣をこう諭している。
「大事なのは歴史なんかじゃない。今この瞬間、頑張っているから、今この瞬間、闘って二本足で立っているから強いんだろ?」
そして、チャンピオンとなったみのるは、また別次元の作業に着手し始めた。
ベルトの価値を上げることではなく、ベルトを利用してタイトルマッチの注目度、ひいては全日本マット全体の注目度を上げる。つまるところ、それは自分自身の価値を上げることでもあった。
みのるの第一次政権は翌07年、8・26両国大会で佐々木健介に敗れるまでの約1年間。19年のライバルストーリーを持つ健介との試合も凄まじかったが、なんといっても5度目の防衛戦となった武藤敬司との正真正銘の初一騎打ち(同年7・1横浜大会)が印象深い。完璧に整った舞台で全知全能と全体力を駆使した闘い。武藤敗北という予想外の結末に加え、フィニッシュ技がヒールホールドというサプライズ。私的観点からいくと2000年代……つまりこの10年でNo.1の名勝負だったと思う。
ここで、またみのるは何かを学んだし、「俺はすべての面で武藤敬司に負けない!」という自信も掴んだ。そして、ベルトから離れていた2年8カ月、みのるの基本姿勢は決してブレることはなかった。必然として、時は来たのだろう。武藤不在の全日本マットを自らリードしていこうと決めた瞬間、ベルトがついてきた。そこに同志として船木誠勝という男も飛びこんできた。結果的に、本当の意味で船木を超えていたこともこれで証明された。
さて、もう間もなくワクワクするようなマッチアップも見られる。5・9大阪大会。そこは、アントニオ猪木のリングであるIGFだ。
三冠王者・みのるのパートナーは、新日本の至宝・IWGPジュニア王座を巻く丸藤正道(※前日、新日本のJCBホール大会でタイガ―マスクとの防衛戦を控えているが)。かつて、ノアマットでGHCジュニアタッグ王者に君臨したチームが猪木のお膝元で復活する。しかも、対戦相手は未知の小川直也(パートナーは澤田敦士)ときた。
プロレスを舐め切った知名度抜群のプロレスラー(?)小川に対し、骨の髄までプロレスラーのみのると丸藤は何を見せつけてくれるのか?
結果論として二大メジャーの象徴的ベルトをたまたま巻いているわけだが、この2人が現プロレスシーンを牽引している両雄であることは、ベルトの有無に関わらず誰もが認めるところだろう。
第1回 ヒール
2010.03.21今年の初場所で幕内通算25回目の優勝を飾った横綱・朝青龍が、場所中に起こした泥酔暴行騒動の責任をとる格好で遂に引退へと追い込まれた。横審(横綱審議委員会)の前委員である内館牧子さんは「品格に欠く」と度々、朝青龍を糾弾してきたが、この横綱はそんな声もどこ吹く風で土俵内外を暴れ回ってきた。ともかく人気は絶大。大相撲の世界で、しかも横綱という最高位にありながら“ヒール”と呼ばれた力士は、この朝青龍が最初で最後となるだろう。そういえば、初場所優勝セレモニーの際に、東京都知事杯を贈呈するため土俵に上がった猪瀬直樹副知事は、「ヒールが強くなければおもしろくない! おめでとう」と目立とう精神まる出し、実にKYな一言を添えつつ都知事杯を手渡していた。
もともとヒールというのはアメリカのプロレス界から生まれたスラング(隠語)である。ほんの数年前までは、プロレスに関わるごく一部の人間だけしか使うことのない俗語だった。それが天下のNHKが全国区で生放送する大相撲の優勝セレモニーの中で、しかも副知事の口から堂々と発せられるのだから恐ろしい。今やヒールなる言語はすっかり市民権を得て、相撲界の隠語であった“ガチンコ”と並ぶ一般用語になってしまった感がある。
さて、そこで本題だ。泥酔暴行騒動、品格、そして内館牧子さん、おまけにヒールというフレーズが続けば、皆さんはおそらく、いや間違いなく、あの男の顔を思い出すに違いあるまい。我らが鈴木みのるである。
そう、みのるは地方巡業でしょっちゅう泥酔暴行騒動(?)を起こしている。といっても、この場合、いつも酔った勢いでNOSAWA論外が、「鈴木さん、殴り合いしましょうよ!」となぜか親分のみのるに決闘を申し込む。売られた決闘を買わねば男がすたるとばかり、みのるは二つ返事でそれを買う。まあ、結果は予想通り。子分のパンチはかすることもなくかわされ、いつも気持ちいいほどにNOSAWAがボコられてお終いなのだ。まさに師弟のボディランゲージともいえるが、あまり美しい話ではない。まあ品性というか、品格には欠く。あっ、そうそう品格といえば、それをプロレス界で初めて指摘された人物もみのるだったではないか! しかも、『プロレス大賞』特別選考委員を務める、かの内館さん直々のお言葉だった。遡ること3年数カ月前、鈴木みのるはプロレス大賞のMVPに選出された。その時、内館さんが「MVPとしてはちょっと品格に欠けるのではないか?」というような問題提起を投げ掛けたのである。
プロレスラーと品格。
決して永遠にイコールで結ばれることはないであろうテーマが浮上してくると同時に、鈴木みのるはプロレス界の頂点に立った。品格とは無縁と思われる世界で品格を疑われた男がMVPに輝いたのだ。
次なるキーワードがヒールである。これもまた遡って、06年12月半ばのこと。ちょうど、みのるのMVP受賞が決まった直後の話だ。私は某誌の企画により赤坂プリンスホテルの会議室でアブド―ラ・ザ・ブッチャ―と対談していた。
ブッチャ―といえば、タイガー・ジェット・シンと共に、日本マットが生んだ二大ヒールの一翼であり、馬場体制・全日本プロレスを躍進させた最大の功労者でもある。知名度は抜群で、頭もスマート。当然のように、ビジネス観に関してはシビアそのもの。どんな話題を振っても、結局、彼のファイナルアンサーはすべて「マネー」(=金のため)だった。ただし、一つ気付いたことがある。ブッチャ―の回答がすべて「マネー」であったとしても、彼が指すものは物質的なお金そのものではなく、対価としての価値観なのだろうと思ったのだ。つまり、お金がプライオリティなのではなく、お金こそが彼のアイデンティティの象徴なのだ。
フォークを手に暴れ回り、額に幾筋もの深い溝を作って稼いだ金は、実に尊いような気がした。そんなことを思っているうちに、この日本マットに品格を問われるMVP男が現れたことをブッチャ―に知ってもらいたくなった。
「ブッチャ―さん、今年のMVPを獲った鈴木みのるという選手をご存知ですか?」
「スズキ……いや、知らないね」
「彼も、ブッチャ―さんがテリ―・ファンクをフォークでメッタ刺しにしたシーンを少年時代にテレビで観て、それからプロレスファンになったというんです」
「そうか(苦笑)。で、そのスズキはヒールなのかい? ベビーフェイスなのか?」
「コレは英語でどういうのかなあ? 彼は“世界一性格の悪い男”と呼ばれていて(笑)……あまり反則攻撃をしたり凶器を使ったりはしないけど、発言とか試合態度がとてもストレートに意地悪で新しいタイプのヒールじゃないかと」
「こんど観てみたいな。とにかくスズキは客を呼べる男だってことだろ? じゃあ、どっちにしろ彼はスター選手なんだよ」
その1年後のことだった。劇的に両者は遭遇する。07年10月、全日本プロレスの代々木大会でタッグマッチながら初対決。しかも試合後、みのるはブッチャ―に歩み寄ると握手を交わし、合体を表明。翌月の『世界最強タッグ決定リーグ戦』へのエントリーまで勝手にぶち上げた。この時点で、まだブッチャ―の方は鈴木みのるの何たるかを理解していないようだったが、みのるは喜色満面。
「すげえー面白いオモチャ見つけちゃったよ。あのブッチャ―だぜ! 最強タッグはこのオモチャを使って存分に遊ばせてもらうから」と独特の言い回しを駆使して珍しく熱弁を振るった。
さらに、その3週間後のこと。新木場1stRINGという小さなハコに、突然ある男が現れた。ブルーザ―・ミノディという鈴木みのる似の男。というか、故ブルーザ―・ブロディをみのるがパクッて、パートナーはタカン・ハンセン(高山善廣)……つまり鈴木&高山が懐かしの超獣コンビを再現したのである。このブロディがまた激似だった。チェーンの振り回し方から、客席に躍り込んで「ウォッ! ウォッ!」とシャウトする様から、片足踏み切りドロップキック、コーナ―へのビッグブーツ、そしてキングコング・ニ―ドロップと一連の完コピぶりには驚かされた。まあ、このブロディという男も時代を彩ったヒールの凄玉である。
あとで聞いてみると、「なんせ昨日、20分もビデオで研究したからな」とみのるは涼しい顔をしていたものの、実際は3時間近くも昔のブロディの試合映像を観て、その特徴を研究していたらしい。
この話は、まだ終わらない。その2週間後、みのるとコンビを組んで『最強タッグ』に出場するブッチャ―が来日。たまたまテレビのCS放送(サムライTV)を観たブッチャ―はまん丸の目をさらに丸くした。本物より小柄だが、ブロディそっくりの男がファイトしている姿を目に留めたのだ。試合前の控室でブッチャ―がその話を振ってきた。「ミスター・ブッチャ―、アレは俺だよ」とみのるが言うと、ブッチャ―のまん丸の目はさらにもっと丸くなった。
「そうか! アレはユーか。ソックリだったよ、フランクに。あんまり似ているんでビックリした。俺はこの通りもうトシだからあんまり動けない。その分、今回のツアーではユーがリードしてくれると期待しているよ」
その言葉通りに、みのるから見たブッチャ―は最高のオモチャだったし、ファンから見れば生きる伝説そのもの。大歓声の中、連日フォークを手に生き生きとリング内外を暴れ回った。そして、いつの間にか、みのるのことを「ティ―チャ―」と呼び始めた。試合の作戦から何からすべてみのるが考えて、リードしてくれたからだ。
レジェンド・ヒールのブッチャ―から「先生」と呼ばれたら、みのるも悪い気はしないだろう。ちょうど1年前、私が「鈴木みのるを知っていますか?」と質問したことをブッチャ―は思い出してくれたろうか? 新しいタイプのヒールという表現を理解してくれただろうか?
ここ最近、ヒール側へと区分けされる日本人レスラーが急増してきた。凶器は使うし、反則・乱入はお手のもの。それなのに、「普段はとてもいい人」だとか「ファンには優しい」なんて評されるレスラーは最悪だ。それじゃあ、「仕事で悪役やってます」と言っているようなものだし、見え透いていて面白くもない。
みのるを見ろ! Tシャツを購入したファンにもあんまり優しくないし、マスコミにも媚を売らない。基本的に態度がデカくて、意地悪で、感情剥き出しに笑ったり怒ったり……そのくせ時にホロリとくるような言葉をマイクを通して訴えたりもする。作りものではない、その場の生の感情をぶつけるプロレスラ―が鈴木みのる。それは普段の彼の生き方そのもの。これが新しいヒール像といえるのかもしれないし、少なくとも他の誰にも真似のできないプロレスである。
新日本プロレスの練習生だった18歳の頃も、キャリア20年を超え四十路に入った今も、私の中のみのるは何も変わらない。顔を合わせれば、「おお、オッサン!」と、まずは悪態から始まる(笑)。この真っ正直な“悪童”は、どこのリングに上がろうと誰を相手にしようとも光り輝いている。



